私の双子の兄貴は、とてもモテル。

親が離婚をして、苗字は違うものの小中高と学校は同じだったし、

それなりに仲のいい兄妹だと私は思っている。

兄妹だということを公言していないため、

私の靴箱に何か嫌がらせがしていない日が無くとも。



―雨



「顔は似ているはずなんだけれどなぁ。」

私は泥でぐちゃぐちゃになっている靴箱の中をを眺める。

もちろん上履きは使い物にはならない。

こういうことがあまりにも多いので、私は二足の上履きを用意し、

一足は持ち歩き、一足は下駄箱に入れっぱなしにしている。

何が悲しくてそんな事をしなければならないのか。

「涼、おはよう。」

振り向くと其処には黒いさらさらの髪に妙に顔の整った男の姿。

私が上履きを持ち歩かなければならなくなった原因。

「ヤス・・・。おはよう。」

保志、と言う名前だが昔からヤスと呼ぶのが習慣になってしまっている。

私の名前も涼ではなく涼子だし。

私はごみ箱と化した下駄箱を閉め、

手提げ袋から上履きを取り出し、其れを履いて歩き出す。

「ねぇ、ヤス。

 ヤスも年頃なんだから彼女の一人や二人、作ったらいいのに。」

そうだ。

この馬鹿兄貴が彼女さえ作れば、私への嫌がらせは少しはマシになるだろう。

「涼がいればそれでいい。

 他の女なんて煩わしいだけだ。」

そう、さも当たり前のように言う。

私は下を向いて、黙って横を歩く。

最近よく、ヤスの近くがひどく居心地が悪く感じることがある。

そういうときは目を閉じて、耳をふさいで何も感じない振りをする。

気付かない振りをする。

私の中にある、『何か』に。



「じゃぁ、また。」

私の教室についたところでヤスと別れる。

二年のクラスは一階にあり、

三組の私より、五組のヤスの教室の方が奥にあるのだ。

「ああ、帰りに迎えに来るよ。」

そう言ってヤスは行ってしまった。

私たちの間には、学校の下校を共にするという約束事がある。

知らないうちに決まっていた約束。

いつ決まったのか、何故そうなったのかまったく分からないが、

親が離婚して、帰る家が変わってしまっても、

お互いに用事があって帰宅時間が異なってしまう日以外は、

この約束事が破られる日はなかった。



教室に入ると女生徒からの冷たい視線。

机に鞄を置いて、中から荷物を取り出し始めると、

ある女生徒が話し掛けてきた。

「おはよ。今日も保志君の人気凄いね。」

このクラスで唯一、いや、この学校で唯一私たちの関係を知っている人間。

「今日の靴箱は泥だらけだったよ。」

そう言って笑うと、同じような笑いがかえってきた。

朝倉真央。

親友と言うものだろうか。

小学校から一緒で、私たちがこの高校を受験すると言ったら、

心配だからと、ついてきてくれた。

いつも相談相手をしてくれて、ヤスに言えないことも真央の前ではさらけ出してしまえる。

普段は自分のことばかり話しているが、私が不安定になるとすぐに察知してくれて、

黙って私の話を聞いてくれるかけがえのない友達だ。



「ねぇ、涼子。

 靴箱ぐらいならいいけどさ。また、一年のときみたいになったら心配だよ。」

真央が行き成り真剣な顔で言う。

「ああ、気をつけるよ。」

そう、一年のとき。

私は放課後に上級生に呼び出され、なんと言うか・・・・ぼこられたことがある。

リンチ、と言うのだろうか、一切言葉の通じない中、私は意識を飛ばさないことだけに集中していた。

ヤスはどうしても用事が抜けられないらしく早く帰って、

私は委員会の仕事の為学校に残る予定だった。

殴られている最中、やめたまえと飛び出してきてくれるようなヒーローは現れず、

相手の気がすむまで、私の体があざで染まるまで続いた。

その後はクラスは違ったが、同じ委員会だった真央に連絡をとって、

保健室で手当てを受けてそのまま帰ることになった。

委員会の担当教師や、校医の先生には口止めをしておいたから、

次の日学校を休んだことを多少不思議がられても、ヤスに知られることはなかった。

「でも、本当に似てるよね。

 涼子と、保志君って。」

不意に聞こえた言葉に私は目を丸くする。

「どうして・・・。」

真央が、私たちのことを何か言うのはほとんどない。

双子といってもまったく別の人間としてとらえられていると思っていた。

「ああ、顔とか、そういうのじゃなくってさ。

 顔も、多少は似てるけど。

 なんていうかな。これは双子だから・・・じゃないと思うんだけどね。

 凄く、似てると思う。

 なんか、危ういんだよね。

 涼子も、保志君も。

 見ていて怖くなるときがある。

 二人で、消えてなくなってしまうんじゃないかって。

 馬鹿みたいだけど、本当に。」

真央は照れくさくなったのだろうか。

あいまいに微笑んで自分の席へといってしまった。



昼休みになると、私はいつも一人で教室を出て隣の棟の非常階段へと向かう。

その非常階段の2階から3階へと繋がる下の部分。

そこで食事をとることにしている。

ひんやりとしていて、夏は気持ちいいが、

冬は少し、いや、だいぶ寒い。

私はひんやりと冷えた階段に腰をおろし弁当を開く。

ヤスは図書委員の仕事でいつも昼休みは図書館だし、

真央は人付き合いの為教室の女子と一緒にお昼をしているようだ。

真央は最初は気を使って一緒に食べるといってくれたが、

私とこれ以上一緒にいると何かと反感を買うようだし、

何よりも一人でいる時間というものを作りたかった。

中学の頃からようやく自分のことが見えてきて、気が付いたこと。

私のキャパシティーは、

そんなに大きくはない。

だから、何かあってもなくっても。

一人になってゆっくり頭の中を整理する時間が必要だと思った。

家に帰ると、離婚をして不安定になった母が頼ってくるので、

あまり自分のことばかり考えてられない。

別れてだいぶ立つのに、

逢いたい、と泣くのだ。

この場所で考えてしまうのはいつもヤスのことだけ。

くだらない。

本当にくだらない。



教室への道。

ヤスを見た。

隣には女の人。

綺麗な、お嬢さんだ。

確かあれは同じ図書委員の林さんだ。

一度話したことがあったが私の靴箱に細工をする馬鹿女たちとは違う。

落ち着きのある女性だった。

話している間、彼女から何だかいい香りがしてくるし、

とても笑顔が綺麗でドキドキしてしまったのを覚えている。

大人の女性だった。

とてもいい人だ。

ヤスと並ぶとひどく綺麗な絵になる。

だから。

だから。

私がこんな風に心を騒がせる理由など何一つないのだ。



その日の放課後、私は教室でをヤスを待っている。

突然担任に仕事を頼まれ、一時間ほど待って欲しいと言われたのだ。

まだ、数人残っている教室で読みかけの推理小説を開く。

ただ時間を潰しているだけで、ろくに推理もしないでページをめくる。

ヤスに、恋人ができたらどうなるのだろうか。

とりあえず、私への嫌がらせは少なくなるだろう。

行き帰りは別々になって。

教室にいちいちヤスが来ることもなくなって・・・。

一緒に図書館で勉強することも、学校裏の公園でふたりブランコに揺られることもなくなる。

休日の映画だって一人で見に行かなければならなくなるんだ。

そうしたら。

そうしたら。

この、胸のざわめきは消えてなくなってくれるのだろうか。



「藤居さん。」

いきなり話し掛けられて私は声のしたほうに振り向く。

そこには明るい茶髪の青年。

確か井上君だ。

「どうかしたの?井上君。」

そう応えると名前知っていてくれたんだと茶化したように笑った。

井上君は顔がいいのと性格が軽いのとで、女の子にとてもよくモテル。

いつも誰かしら女の子をはべらしているらしい。

その割には話しやすく、面白いからか、男子生徒にも人気だ。

と、真央から聞いたことがあったような気がする。

男にも人気というところがヤスとは違うな。

ヤスは2,3人の友達以外には無口で無関心だから・・・。

「あのさ、話があるからちょっといいかな?」

そう言って井上君は椅子に座っている私を覗き込んできた。

どうしようか。

ヤスが来るまでまだ30分以上はある。

そう言えば高一のあの時も、男の子が呼び出しに来たっけ。

あれはリンチだって思わせないようにしたのだろうか。

私は井上君の顔を見た。

そして思ったこと。

それは多分、

間違ってはいない。

“モテル男は女の言いなりにはならない。”

「うん、いいけど、どこ行くの?」

そう聞くと井上君は屋上だと応えた。



壊れて目的を果たさなくなった鍵を外し、屋上へと入る。

空を見上げると分厚い雲。

何だか雨が降りそうだ。

困った、今日は折り畳み傘をもってきていないのに。

「あのさ、藤居さん。単刀直入に言うね?」

井上君のほうを見ると井上君も私を見ていた。

「うん。」

そう応えると井上君はニヤニヤと笑いながら口を開く。

「藤居さんにね?

 キスを、したいんだ。」

キス?

いや、なんと言うか。

付き合って欲しいではなくキスかぁ。

困った。

どうせ何かのバツゲームかなにかなのだろうが。

『告白すること』がバツゲームだったら言って終わりだが、

この場合は・・・。

黙った私を見て、井上君がいいかと聞いてくる。

「嫌だ、と言ったら。避けられることなの?」

普通に嫌だ。

名前と噂程度しか知らない人間にそういう行為をするのは。

別に好きな人じゃなきゃ嫌だとか、愛がないのは駄目だなどという、

かわいらしい発想はまったくないのだが、こうも軽くしてしまうのはどうかと思う。

とはいえ、力で勝てるはずがない彼に、

無理やりキスされてしまうのではどうしようもないだろう。

「ううん。避けられない。」

井上君は笑みを深めてそういった。

「なら、どうしようもないじゃないか。」

私も笑いながらそう言う。

ゆっくりと彼が近づいてくる。

そう言えば初めてのキスはヤスだったなぁ、そんな事を考えながらまぶたを閉じた。





   top  next

     2005/07/18