唇が離れた後、井上君は笑ってこう言った。

「ごめんね?多分察しがついてると思うけどバツゲームなんだ。

 でもさ、こんな簡単にしてくれるとは思わなかったな。

 まぁ、藤居さんのそういうところ好きだけどね。

 今まで鉄壁のガードがあってうかつに近付けなかったけれど。」



―雨2―



ガードですか。

それってヤスのことだろうか。

まぁ、学校内では違うクラスなのにしょっちゅう一緒にいるからなぁ。

「ああ、今日のことは仲間内に伝えるだけでさ。

 あんまり広めないよう尽くしますので、ご安心ください。

 君が報告しない限り彼氏にはばれないようにしますので、

 報告、しないでね?俺も怖いし。」

笑いながらそう言う。

キスをされた、なんて。

どうやって報告しろというのだろうか。



井上君はそのまま部活に行くらしくて、

私は一人で教室へと歩いていた。

キス、なんて久しぶりだな。

最後にしたのは、確か去年の正月。

酔っ払ったいとこの啓兄にされたっけ。

その時は離婚したばかりだったけれども、

正月と言うこともあって、ヤスもうちに挨拶に来ていて・・・。

ああ、確か啓兄とヤスが大喧嘩して大変だったな。

普段は口数が少ないのに、怒鳴り散らしてたっけ。

「涼!!」

後ろから声が聞こえって振り向く。

「ヤス・・・、まだ仕事じゃなかったのか?」

そこには、息を切らしながら走ってくるヤスがいた。

私のところまで来て、下を向いて荒くなった息を整える。

「涼、お前何処行ってた?」

私の腕に痛みが走る。

ヤスは私の左腕を強く、強く掴んだ。

痛い。

「ちょっと、呼び出しされてて・・・・。」

ヤスは腕を掴んだまま顔を上げ、私を睨みつけた。

「お前さ、一年のとき、何されたか忘れたのかよ。

 何で呼び出されて会いに行くんだよ!

 教室行ったら井上と出て行ったっていうし・・・・。」

落ち着いたのだろうか、ヤスの声は少しずつ小さくなっていく。

「一年のときのこと、知ってたの?

 井上君とは、なんとも無かったし・・・。」

無かったわけではないが、言ってはいけない気がして嘘をついた。

「なにも、無かったんだな。

 一年のときのは、その次の日朝倉に教えてもらって知ったんだ。

 お前、知られたくなさそうにしてたし、

 俺の所為だから、何にもいえなくて。」

そうか、知っていて黙っていてくれたんだな。

言ってしまえば楽なのに。

言わずに、一人で自分を責めていてくれたんだ。

「・・・たいした事ないよ。

 其れよりもう、帰ろう?

 雨が降ってきそうだよ。」



案の定雨が降ってきたが、

すぐに家に着いたのでほとんど濡れずにすんだ。

家の扉をバタンと閉めると私は笑顔を作る。

「ただいま、母さん。」



次の日、雨脚は強くなって、登校中のスカートを濡らす。

学校について、下駄箱を開けるとそこには。

“二股かけんなブス!”の文字。

二股・・・。

隣の席でそこそこ仲のいい山県君のことだろうか。

そんなことを考えながら教室へと向かう。

その間、すれ違う人がみんなこちらを向いてひそひそと話をしているようだ。

教室に着いてドアを開けると、

全員の視線が私を捉える。

いつもはがやがやと騒がしいのに誰も喋ろうとはしない。

何かしたか?

私・・・・。

「涼子!」

静まった教室の中、真央の響く声がして私はそちらを見た。

真央は私のところまで走ってきて、私を教室の外へと連れ出す。

「真央どうしたの?

 何か・・・。」

私達が教室を出て、扉を閉めたところで教室内からすごいざわめきが聞こえてきたが、

其れを無視して真央は私の手を引っ張る。

「ちょっと、どこいくの真央。HR出ないつもり?」

「屋上。」

私の質問に返ってきた言葉は其れだけ。

屋上かぁ。

・・・・・・・・。

ひょっとして、これは昨日のことが広まって?

屋上の扉を開けると、外はザーザーと落ちてくる雨。

「今度から場所指定は天候を考えてしようね。」

私は笑いながら言う。

仕方が無いので扉の前で腰を下ろそうとすると、いきなり両肩をつかまれた。

「涼子、朝からずっと、噂になってる。

 井上君のこと。あれって本当?」

真央が真剣な眼で見てくる。

嘘は、つけないな。

「本当。でも、しらを切りとおすつもりだからヤスには内緒にしておいて。」

「何言ってるの!自分がなに言ってるか分かってる?」

真央は怒ったように怒鳴り散らす。

「だって、そんなに大した事じゃ・・・。」

「涼子はさ、井上君のことどう思ってるの?」

真央が睨みつけてくる。

真央は井上君のことが好きだったのだろうか。

いや、でも彼氏いたよなぁ。

「どうって、あんまり話したことも無いし、

 知ってるのは真央からの噂ぐらいで、

 噂だからあんまり信用もしてないし。」

真央は下を向いてぽろぽろと涙を流し始めた。


「真央?え?ごめん!どうしたの?」

慌てる私に尚も真央は睨みつける。

「涼子はさっ!

 そんな、どうでもいいような人とセックス出来ちゃうような人だったんだ。

 私知らなかったっ!」

泣きじゃくりながらそう言う。

ん??

ちょっと待て。

「・・・・セックス??」

どうして、そんな話に??

「真央、多分、大きな誤解が生じてますよ。

 噂に尾ひれ付きすぎ。」

真央は濡れた瞳で不思議そうに私を見る。

「キス。

 したのはキスだけ。それ以外は何にもしてません。

 井上君何かの罰ゲームだったんだって。

 仲間には噂にならないように口止めしておくって言っていたけれど・・・。

 すんごい噂になってるみたいだね。」

私は笑って真央の頭をなでながらそう言う。

「本当?」

真央は眼をこすりながら私を見る。

「本当。

 嫌だったけれど、力で勝てるはず無いしさ。

 ヤスと待ち合わせしていたから早く帰りたかったし。」

それに、多分私は無意識に井上君とキスをすることで、

ヤスに対する気持ちを整理したかったのかもしれない。

誰にもいえないことだけれども。

真央は泣きじゃくった顔のまま教室に戻るわけにはいかなかったし、

最近真央とあまり話してなかったこともあって、

二時限目までその場所でたわいのない話をしてサボることにした。

教室に帰るとやはり周りの態度は変わらなかった。

でもいつも女子はこんな感じだし、唯一の友人は理解をしてくれたので、

さして気にはならなかった。

そんなことを考えていたので、私はある、重大なことに気付かずに過ごしてしまった。



昼放課。

私はいつものように弁当を持って席を立とうとしたら、

ガラリと大きな音を立てて教室に入ってくる人物が目に入った。

井上君だ。

驚いたのはその顔。

左の頬骨の辺りがすごい色に変色している。

相当痛そうだ。

「はい!注目〜!!」

井上君が教卓に立って喋る。

「藤居さんとの噂、すんごい広まってるみたいだけれど、

 あれ全部嘘っぱち。信じちゃ駄目だよ〜。

 噂ももう広めないでね。俺もこれ以上殴られるの嫌だし。

 以上!」

そういって教卓を降りて教室を出ようとする。

私は井上君に駆け寄って話しかける。

「井上君、殴られるって・・・。ヤスに?」

そう言うと井上君はあざの出来た顔で振り返った。

「あ〜、藤居さん。あんまり近づかないでね。」

笑ってそう言う。

「なんかごめんね?こんなに噂になっちゃって。

 仲間と喋ってるの誰かに聞かれたみたいでさ。

 “次、涼に手出したら殺すからな”って言われちゃったよ。」

笑ってそう言う井上君を見つめる。

「・・・じゃぁ、俺もういくね。」

井上君は私と眼を合わせないようにそのまま行ってしまった。

酷い青あざになっていた。

ここまでやらなくてもいいのに。

お前は私の父親かーって。

似たようなものか・・・・。



今日も教室でヤスを待つ。

いつもなら終礼すぐに迎えに来てくれるのだが、今日は遅い。

何か用事があるとは言っていなかったけれど。

そんなことを考えていたら、ガラリと扉の空く音がした。

「ヤス・・・・。」

そういえば、昨日のこと、どう話せばいいんだろう。

昨日の帰りは何も無かったと言ってしまったし・・・・。

「ごめん、遅くなった。

 傘が盗まれてて・・・・、入れていってくれないか?」

そう聞かれて私は頷きながら席を立つ。

廊下を歩く間、ヤスは何も喋らない。

いつもそうだが、今日は何だか居心地が悪い。

土間で大き目の傘を開いてヤスを入れる。

雨は朝よりも強まっているようだ。

傘にあたって音を出し、

革靴からしみこんでくる。

「井上から、聞いた。」

学校裏の公園を通ろうとしたとき、ヤスが口を開いた。

「そう・・・。」

どこまで、言ったんだろうか。

井上君は。

「キス、したって。

 罰ゲームで。」

適当にごまかしてはくれなかったのか。

「うん、まぁ、キスぐらいなら、いいかなって。

 犯されたわけじゃないし。

 嘘ついて、ごめん。」

そう言うと、傘を持っていたヤスが急に立ち止まった。

「キス、ぐらい・・・・ね。

 もし、犯そうとしていたら?

 力じゃ敵わないから簡単にやられてたよな。」

ヤスの真剣な眼が突き刺さる。

最近睨まれてばかりだ、と見当違いなことを頭に浮かべる。

「もし、そんなことになったら、どうにか抵抗したよ。」

視線をはずし、そう応える。

頼むから、そんな眼で見ないでほしい。

胸が騒がしくなる。

「抵抗?

 本当に、した??」

ヤスは傘を持っている左手に鞄を持ち替え、

空いた右手で私のあごを引き寄せて、

無理やり眼を合わせる。

胸が、張り裂けそうだ。

少し腫れたヤスの右手。

捕らえられてしまう。

ヤスは、ゆっくりと顔を近づけ、

私の唇はヤスの其れと繋がれる。



「なにをっ!」

呪縛から解放されたように私はヤスの胸を押しのけた。

その反動でヤスの鞄と傘が落ちる。

服に雫が落ちて無数のシミを作っていく。

頭が回らない。

どうすればいい?

どうすれば、・・・・いつもどおりに戻る?

「“キス、ぐらい”だろ?」

鞄と傘を拾いながらヤスは言う。

「涼は何も知らされていないし、もう少し待とうと思ったけれどダメ。

 もう待てない。」

嫌。

嫌だ。

聞きたくない。

「涼は勘がいいから、もう気が付いていると思うけれど。

 俺たち、本当の兄弟じゃないんだ。」

やめて。

壊さないで。

「俺の本当の父親は涼の父親のいとこでさ。

 両親が死んで、こっちに引き取られたのが、

 まだ2,3ヶ月のころだって。

 それで、どういうわけか誕生日が一日違いだったお前と、

 双子っていうことにしたんだって。」

耳をふさいで、目を閉じてもヤスの声は響いてくる。

「高校入学のとき戸籍抄本取りに行ったときにさ。

 其れを知って、凄い嬉しかった。

 涼とは兄妹じゃないんだって。」

嫌だ。

兄妹なら、

兄妹なら一緒にいられる。

兄妹なら・・・・。

「俺、もうお前と兄妹に戻るつもりはないから。

 お前が受け入れるまで待とうとしたけどさ、

 井上のことがあって、またこんなことが起きたらって・・・。

 もう、待てない。

 もう、離したくはないんだ。」

雨の中傘も差さずにそう言って、

呆けている私を抱きしめる。

髪も服もびしょびしょだ。

どううればいい?

兄妹じゃ、いられない?

「風邪を引く。

 帰ろうか。」

そう言ってヤスは傘を差しなおして私の手を取る。

私は、何も言い出せないまま其れに従った。



胸が張り裂けそうだ。

つないだ手から、ヤスの熱が伝わってくる。

ああ。

もう、逃げられない。

この気持ちから。

それ程に、大きくなってしまっていたんだ。



「涼子ちゃん、お帰りなさい。

 どうしたの、濡れているじゃない。

 傘盗られちゃったの?

 すぐにシャワー浴びていらっしゃい。」

家のドアを開けると、母親が霧吹きで玄関の花に水をやっているところだった。

「母さん。今度の日曜日、父さんに会いに行こう。」

私の言葉に母さんは驚いたように目を丸くする。

私のすぐ逃げてしまう癖は、この人譲りなのだろう。

「涼子ちゃん・・・・。

 何言ってるの、お父さんとはもう終わったのよ?

 今さら会ってどうするのよ。」

そう言って母は霧吹きを持ち直し、花を見つめる。

「母さん、もう、逃げるのはやめよう。

 私も、止めるから。」

もう、逃げない。

もう、家に帰ってきて無理やり笑顔を作るのは嫌なんだ。

逃げない。

ヤスを、いとおしいと思う気持ちからも。

「そんなこと言ったって・・・・。

 どんな顔して合えばいいのか分からないのよ。」

離婚の原因は、母さんの浮気だった。

留守にしがちな父さんに対して、母さんは不安で、不安で・・・・。

「父さんも、きっと会いたがってるよ。

 まぁ、今度の日曜じゃなくてもいいけれど、

 一度、会いに行こう。」

そう言って私は呆然とする母さんをおいて風呂場へと向かう。

もう、逃げられない。

逃げるつもりもない。

怖い。

兄妹に戻れないのは。

人には別れというものがあるから。

兄妹だったら、どんな形でも繋がっていられると思っていたんだ。

でも、もう。

私の心が。

それでは満足できないと悲鳴をあげている。

例え父や母のように別れたとしても。

きつく閉めておいた蓋は、

ヤスが簡単に開けてしまったから、

この思いは、止められない。

もう、止められないんだ。



次の日学校へ行き、一番初めに真央に話をする。

誰よりも心配をかけてしまったから。

昨日の雨が無かったかのように晴れ晴れとした天気で。

HRが終わった後、屋上に真央を誘う。

今日も一時間目はサボり。

そこで昨日のこと、それから、

私の本当の気持ち。

其れを離したら嬉しそうに頑張ってと笑ってくれた。

そして今日も放課後の教室でヤスを待つ。

日直の仕事で30分ほど遅れるとメールが来た。

其れと、自分が行くまで誰にも着いていくなって。

教室にはもう、誰も残ってはいない。

なんて声をかけようか。

兄ではなくなった彼に。

いきなり抱きしめてもいい。

兄妹としてではなく、

愛しているのだと。

彼に伝えたいんだ。

きっと母さんのように不安に苛まれるだろう。

私は弱いから。

でも、それでも。



ガラリと、

扉の開く音が教室に響いた。




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     2005/07/18

一万hit御礼でフリーとさせていただいてます。
せっかくの一万ヒット小説がこんなものですみません。
1と2に分かれておりますが、一つにまとめてお持ち帰りになってもかまいません。
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                   橘冬希拝