期待をしていたわけではない。

でも。

期待を、していなかったといえば嘘になる。



―半分だけの景―



いまどきバレンタインのチョコレートで

秘めた思いを伝えるだなんて。

奥手な女子中学生でも無いのに。

26にもなって、ばかばかしい。

ホワイトデーが、こんなに居心地悪いものだなんて、

初めて知ったよ。

「矢沢先輩。」

デスクに向かっていたときに、

私の気分を一瞬で変えるであろう人間の声が聴こえて、

爆発しそうな心臓を押さえながら振り向く。

「近藤君。どうしたの?」

笑顔で返せただろうか。

「この報告書の・・・・」

彼は事務的な話を始める。

初めから、こんな話しかしたこと無いのに。

何を期待しているんだろう。

「あ、それは・・・・。」

平気な顔をして其れに応える。



2月14日。

所謂バレンタインという日に。

彼にチョコレートと、気持ちを綴ったカードを渡した。

カードは「好きです。」とだけ書いたシンプルなもの。

他の言葉なんて、私には思いつきもしなかった。

共通の話題も無い、年さえ違う。

出来る話といえば仕事のことだけ。

そんな関係だった。

ただ、真剣に仕事に打ち込む彼、

さらっと見せることの出来る気遣い。

時々見せる、嬉しそうな笑顔。

そんな彼に惹かれていった。

しかし、どうやら其れは私だけじゃなかったらしい。

バレンタイン当日の彼のデスクの上には、

数個の綺麗にラッピングされた箱が並んでいた。

部長の席に並べられた可愛い其れとは違う、

明らかに本命仕様のもの。

当の本人は、昼休みにもかかわらず、

新しい企画の書類作りに没頭していた。

そんな彼に邪魔をしては悪いと、

一言声をかけて、私の気持ちは

数個並べてある其れの横にそっと置いて、

彼の様子を見てうまれた大きな諦めと、

かすかに心に残った少しだけの期待を胸に。



返事ぐらいは、欲しかったなぁ。

仕事の話しかしない彼を前にして、

思わずため息が出てしまう。

「あ、お疲れですか?先輩。」

「ん?そんな事無いよ。」

「ため息つくと幸せが逃げますよ。」

彼はそんなことを言って、無邪気に笑う。

「今更幸せの一つや二つ、

 逃げてったて変わんないよ。」

そう、自嘲する。

「あ、彼氏とケンカしたとか。」

突然の彼の言葉にうつむいていた顔を上げる。



「あ、図星ですか?

 水島先輩も結構我が強い人ですからね。

 ほら、今日はホワイトデーなんだから、

 仲直りしておいたほうがいいと思いますよ。」

なにを、言いだすのかな、この人は。

彼氏もちの人間がバレンタインデーに

あんな高いチョコ他の男にあげないよ。

「水島は、私の友達の彼氏だよ。

 なんか勘違いしてない?」

無理やり顔を作って笑顔で答える。

「え・・・でも。

 水島先輩本人がそういってましたよ。」

あいつは女よけや、上司の話にあわせるために

適当に話しを作ったりするんだよ。

「そう、からかわれたんじゃないかな。

 水島、近藤君のこと気に入ってるみたいだし。」

そうですか?といって彼は仕事の話を始めた。

どうしよう、泣きそうだ。



定時になると、ちらほら空いた席がでてきた。

女の子達はみんな念入りに化粧をして出て行った。

そんな様子をデスク越しに眺めてみたりする。

仕事はいくらでもある。

私じゃなくても出来るけど、

誰かがやらなきゃいけない仕事。

今日は思いっきり残業をしてゆこう。

仕事に没頭したほうが色々と考えなくてすむ。

今仕事をしておいて、4月に入ったころに、

有給をまとめてとって旅行にでも行こうかな。

そうしたら、すっきり忘れられるかもしれない。

ああ、3月中に有給消費しなくちゃいけないんだっけ。

そう思いながら、肩をならしてキーボードに向かった。



「お疲れ様です。」

そんな声がして、手を止めると、

ふっとコーヒーのいい香りがした。

「あ、近藤君。」

仕事に集中していて、全然気付かなかった。

「もう9時ですよ、まわり誰もいないし。

 そろそろおしまいにしたらどうです。」

そういって、コーヒーを差し出してくれる。

「有難う、もうそんな時間かぁ。」

まわりを見ると、このフロアは私達二人だけになっていた。

「近藤君、そういえばなんでこんな時間に?」

「あ、一度帰ったんですけどね。

 忘れ物をしてしまって・・・・。」

そういって笑う。

いつもの笑みじゃなくって、

少し、困ったような笑み。



「近藤君?」

「先輩、この後飲みに行きませんか?」

突然の、誘い。

「・・・そんな気分じゃないんだ。

 其れに最近お酒あんまり飲まなくなってさ、

 弱くなっちゃったし。

 学生時代はいくら飲んでも平気だったのに、

 今はもう次の日が怖くてあんまり飲めないよ。」

もう歳かな。

そんなことを言ってコーヒーに口をつける。

「じゃぁ、飯行きましょう。飯。

 酒はなしで。この間和食のおいしい店見つけたんですよ。

 そこなら、いいですよね。」

いつもと違う強引な彼に少し驚いて顔を見上げる。

「近藤君?どうしたの?なんか相談事でもあるの?」

二人で飲みに行ったことはおろか、

こんな風に仕事以外の話をする事だってほとんどない。

「はは、やっぱり、変でしたか?

 いきなり誘うだなんて。」

頭をかいてそう笑う。



「水島先輩にね。教えてもらったんですよ。

 矢沢先輩が、バレンタインに同じ部署の奴に本命渡したって。

 でも、ホワイトデーに一人で残業っていうことは、そういうことですよね。

 人の不幸を喜ぶのはいけないとは思ったけど、

 ホッとしました。」

なにを、言い出すんだろう、この人は。

「近藤君、私は・・・・。」

「あ、性格悪い奴だとか思ってます?

 まぁ、元々こんな感じなんですよ。

 ふてぶてしいと言うか、自覚はあるんですけどね。

 普段はちょっといい子ぶってみたりしてみただけで。

 水島先輩相手じゃちょっとキツイかなって、

 おとなしくしてたんですよ。

 でももう、その必要ないかなって。」

ハハッと笑って彼は私のデスクに手を置いて、

右手でパソコンを弄り始める。

「水島先輩にね、もう一つ。

 だましたお詫びにって、

 矢沢先輩の情報とかもらっちゃったりして。

 先輩、

 押しに弱い人だって。

 頑張って押せばたぶん大丈夫だって聞きました。

 他の奴に流されちゃう前ちゃんと捕まえとかなきゃなって。

 先輩見た目地味だけど、面倒見いいし、

 笑顔がかなり可愛いって後輩の中で人気なんですよ。

 とりあえず今日、一緒に食事に行きましょうよ。」

私のパソコンの電源を落として、

こちらを向いてにっこりと笑う。



今までに見たことのないような、

『ふてぶてしい』笑顔。

「あの・・・。

 私。」

「ほら、行きますよ。」

勝手に私の机を片付けながら、そう急かす。

「あ、近藤君、その・・・。」

「大丈夫ですよ、とって食いはしません。まだ。

 今日は夕食を食べに行くだけですって。

 ね?」

にこりと笑って、私の鞄とコートを右手に持つ。

そして左手で私の腕を掴んで起き上がらせようとした。

「や、やだっ。」

ぱしんっ、とその手を払ってしまう。

泣きそうだ。

どうして?

私の気持ちはバレンタインのときに伝えたはずなのに。

何のつもりなの?

「バレンタイン、私、カードに・・・。」

「矢沢先輩。

 忘れさせてみます。

 すぐに、俺のこと好きにさせてみせます。」

そっと、私の手に触れる。

真剣な瞳に心臓が忙しくなるのを感じる。



「違っ、あの・・・・。

 バレンタインの、チョコレート渡した相手。」

「はい。相手が?」

「・・・・近藤君なの。」

眼を見れなくって、左手を顔に当ててそう呟く。

何が何だかわからない。

私はバレンタインデーに近藤君にチョコを渡して、

近藤君は今、私を食事に誘って・・・。

「・・・・・・・は?」

彼の驚いたような声に気まずくて顔をそらす。

神経は、繋がれた手に集中しているけれども。

「え・・・俺?」

どうしていいのかわからずに、

とりあえずコクリと、頷いてみせる。

「え、だって。

 バレンタインの日。もらったチョコ全部・・・。

 仕事帰りにまとめて駅で・・・。

 先輩以外に、もらっても意味ないからって、

 その・・・・・。」

だんだん小さくなってゆく声を聞いて、

少しだけ彼を覗いてみると、

青い顔で呆然としているのが伺える。



「昼休みに、近藤君忙しそうだったから、

 一言声をかけてデスクにチョコを・・・。

 近藤君、返事してたから、だから。」

やばい、泣きそうだ。

自分が、何を言いたいのかもわかんない。

頭が混乱して・・・・。

「あ、俺、一つのことに集中とかすると、

 無意識で返事とかしちゃったり・・・・。

 そのっ、捨てるつもりはなくって!

 先輩のだって、知ってたら俺・・・・。

 その・・・。」

どうしていいのか、私は困り果てて彼に眼をやる。

口を開こうとしてもうまく言葉が出てこない。

彼は片手で私と掴んだまま、

もう一方の手で短い髪をガシガシとかきむしる。

「だから水島先輩、あんなにニヤニヤして、

 ・・・・・くそっ!」

そう呟いた彼に、いきなり手を引っ張られる。

その勢いで私は立ち上がらされ、そのまま前のめりになる。

驚いて目をつむると、私は倒れることはなく、

ふわりと、暖かい手が私を包み込んだ。



「先輩・・・・。」

ぎゅっと、抱きしめられながら彼の声を感じる。

「すいません。今、先輩にとって俺は最低な男になってると思いますけど。

 ずっと、好きだったんです。

 俺、もう一度先輩に好きになってもらえるよう頑張りますから。

 だから・・・・。」

彼の、心臓の音が聞こえる。

とくん、とくんと。早鐘のような速さで。

初めて知った、新しい彼。

ふてぶてしくて、

ハプニングに弱くて、

簡単に人の思いを捨ててしまえるほど冷たくて、

こんな風に、

私を、好きだといってくれる彼。

「うん、私も・・・、

 近藤君のことが好き。」

そっと、彼の背中に手を回す。



これからどうしようか。

とりあえず、和食のお店に行って。

その後、先輩命令でコンビニでお菓子でも買ってもらおう。

バレンタインのお返しだと言って。

彼の胸の中で頭を横に動かし、

そっと窓の方を見ると、

綺麗な夜景が彼の腕で半分隠れて綺麗に輝いていた。







  top


     2006/03/14