書斎を片付けていたら本棚の手前に祖父さんからもらったランプがあって、

埃まみれの其れを手にとって雑巾で拭いただけだった。

ただ、それだけだったんだ。



―縦長のランプ―



目の前に現れたのは私と同じぐらいの歳の男の人。

所謂ランプの精というものだろうか。

中東風の服装をしているし、肌は褐色で漆黒の髪の毛、瞳はきれいなブルーをしている。

私はじっと彼を見つめ、彼もまたじっと私を見つめた。

どうしたものか。

「おい、女。」

最初に口を開いたのは彼だった。

よく女と分かったな。

私は髪の毛を短く切り、背も女にしては高いほうだ。

まぁ、外国人と比べたら低いが。

私服で道を歩けば男性と間違えられることが多い。

・・・胸も無いし。

女子高生というものをやってはいるものの、

友人にも私が男だったらどんなにいいか一時間にわたって語られたこともある。

あれは参ったな。

小さいころから女扱いなんかされたことが無いから、

おのずと性格も男らしくなってしまう。

「何か。」

彼を見つめたまま私は口を開く。

考えたら、いきなり女と呼ぶのは余りに不躾ではないか。

「お前の名は何だ。」

彼は訝しげに私を見る。

「人の名前を尋ねる前に、自分の名前を言えって習わなかったのか?」

まぁ、ありきたりの台詞だが、一応言っておく。

こういう人物と話す場合、最初に主導権を握っておくべきだ。

私の言葉を聴いた彼は赤くなって此方を睨みつける。

「お、俺の名はウイグル!言ったぞ!お前の名は!」

どうやら直情型の性格らしい。

簡単に主導権を握れそうだ。

「あー、私の名前は蒼衣。君は――ランプの精なのか?」

確かに私はランプを磨いた。

しかし、そのランプはガラス製で火をともす縦長のもので、なんと言うかアラビア風ではない。



私が聞くと彼は頷き、あごに手を当てなにやら考え込んだ。

「ここは、どこだ?」

日本に来るのは初めてなのだろうか。

といっても、この部屋から日本だと分かるものは本棚の本のタイトルが日本語ということだけだ。

日本語自体が分からなければ、知りようも無い。

不安そうな瞳が私を捉える。

「日本、と言うところだ。あー、ジパング。アジアの島国で中国、いや高句麗の近くにある。」

あいまいな説明。

別に場所など分からなくても、これだけ日本語が話せれば問題は無いだろう。

「コウクリは知っている。」

少しだけ嬉しそうに笑う。

「あー、君は私の願い事でも聞いてくれるのか?」

ランプの精ってこういう話だったよな。

「あ、ああ。かなえる!そのために来たんだ!

 というか、お前は何で其れを知っているんだ?」

ああ、彼は知らないのか。あの有名な話を。

「千夜一夜物語。と言うのがあってな。昔の人が宮廷で語ったアラビアの物語だ。

 その中でアラジンとランプと言う物語がある。

 最近ではアニメ、連続画像になって知られている。」

あ、そんなこと言っても分からないか。

まぁ、いいか。



「アラジン!!あのアラジンか!」

彼は興奮しながら私に詰め寄る。

「知り合いか?」

引き千切れそうなほど勢いよく首を縦に振る。

「あいつの願いを叶えたのは俺だ!」

嬉しそうにニコニコと笑う。

これは、結構やばいかもしれない。

「あー、そうか。じゃぁ、願い事を言わなければ君は帰れないと言うわけか。」

そう私が言うと、ふっと悲しそうな表情を見せた。

「ああ。願い事は3回。それっきりだ。願い事を増やせと言う願いも叶えられない。

 人を殺せと言う願いならことと場合によっては聞く。

 他にも色々決まりがあるが、其れが適応されるときでいいだろう。」

悲しそうな表情はすぐに消え、しっかりとした瞳で私を見る。

「ランプの精の話で、ランプの精を自由にと言う願い事があったが其れはいいのか?」

そういうと彼は私を侮蔑の目でにらみつけた。

「そんな人間は存在しない。気持ちの悪いことを言うな。」

彼は怒りで震えているかのようだった。

昔、そう騙されたことでもあるのだろうか。

ディ○ニー映画でのアラジンは作り話か。



「願い事と言われても、私は特に無いぞ。

 五体満足だし、金もある。友人関係も上手くいっているし・・・・。

 そもそも願い事とは自分で叶えるものであって、

 他人にどうこうしてもらうものでは無いだろう。」

そういうと彼は不満そうに私を見た。

彼の存在を否定しているわけじゃない。

自分で叶えられないものだってあるだろうし、どうしてもやりたいことだってあるだろう。

私の場合、其れが無いだけだ。

もし、叶えられないことがあっても、其れが宿命だと思って諦めてしまう。

ふと、私はここが書斎であることに気付いた。

時計を見たらもう、1時間近く立ち話をしていたのだ。

私は彼をリビングへと連れ出し、ソファに座らせた。

・・・・茶を出してもいいのだろうか。

「茶を、飲むか?」

そう聞くと飲む、と小さな声が聞こえてきた。

日本茶しかない。

まぁ、いいかと思い湯飲みに茶を注ぐ。

水が落ちる音とともに、湯気が立ち、お茶独特のいい香りが漂ってくる。

彼の前に湯飲みを置き、私も彼の隣に座る。

二人、ゆったりと腰がかけられる。

一人では少し広すぎる、三人がけのソファだ。

私がお茶を一口含み、彼のほうを見ると、彼は湯飲みをじっと見て飲もうとはしない。

「この国の茶だ。熱いから気を付けて飲めよ。」

そう言ったら彼は湯飲みから一口茶を飲み、熱いとうなった。

「願い事、せっかく三つもあるんだ。何でもいいから使えよ。」

彼がそういって私を見る。

とても、とてもきれいな瞳で。

なんだか私は警察官か何かに取調べを受ける犯罪者にでもなったような気分だ。



「あー、そうだなぁ。」

何か、実害が無く、その場で楽しめるものは無いものか。

「そうだ。イリュージョンが見たい。」

ディ○ニー映画のアラジンで出てくるような。

素敵なパレードに、素敵な魔法。

実害は無く、今後の生活に支障も無い。

まさに一夜の夢。

うん。一つ目はこれでいこう。

「イリュージョン?そんなものでいいのか。」

彼がパチンと指を鳴らしたとたん。

其処に広がるのは真っ暗な闇に吠える花火達。

もう一度パチンと言う音が舌かと思うと、女達が現れ歌い踊り騒ぐ。

彼を見たらもう一度指を鳴らしていた。

次に現れたのはピエロやサーカス団。

ある人は綱渡りをし、ジャグリングを綱の上でする。

また、ある人は五人肩車をし、一輪車で走り回っている。

もう、踊れ歌えの大騒ぎだ。星まで降りだしている。

私がなんだかドキドキして彼のほうを見ると、彼はにやりと笑っていた。

しまった。

これじゃまるで私が子供みたいではないか。

なんだか恥ずかしくなって彼から目をそらした。

「おい、女。」

その言葉を聴いて私はそらした目を再び彼へと移し、睨みつけた。

「女は無いだろう。私にも名前がある。」

そう言うと、彼はしばらく黙った後、照れくさそうに目をそらしながら私の名前を呼んだ。

そんなに顔を染めなくても。

見ているこっちも照れてしまう。

「願い、これで満足か?」

彼はまだ赤いままで私の顔を覗く。

「ああ、そうだな。なかなか楽しいよ。」

私はそういって周りを見回して、小さな声で彼に感謝の言葉を述べた。

「そうか、よかった。」

本当に、本当に嬉しそうに彼が笑う。

かなりヤバイなこれは。

笑いかたがあの人と同じだ。



「お前、いま、何に座っている?」

そんな彼の声が聞こえて、私は不思議そうに彼の顔を見る。

私が座っているのはリビングのソファだ。

イリュージョンを見るときに座っていたためか、

リビングにあったものでこれだけはそのままだ。

そう考えていると、パチンという音が聞こえたとたん、ソファがいきなり大きく動き出した。

彼を見たら声を出して笑っている。

顔には出してないと思うが、私は半ば混乱状態だ。

上を見ると天井が付いていて、ソファには宝石がちりばめられ、さっきよりも心なしか硬い。

視線は高くなり、踊り子達を上から見下ろせる。

まだ揺れは収まらない。

前を見たら灰色の肌が覗いている。

「象、か。」

前に進んでいるのだろうか、ゆっさゆっさという動きに体をなじませ、

心を落ち着かせながら口に出す。

「なかなかいい演出だろう。」

そういって彼は、他人の願いを叶えた方なのに嬉しそうに言った。

それから私達は、しばらく象の上から楽しんだ。

いきなり空から砂金の雨が降ってきたり、

かと思ったら其れがポンッと音を立てて花に変わったり。

楽しい。

こんなに純粋に楽しんだのは久しぶりかもしれない。

「有難う、ウイグル。」

改めてそう言ったらやっぱり彼は耳まで赤くした。

名前を呼ばれたのがそんなに照れるのだろうか。

本当に楽しませてもらったなと、そんなことを考えていたら、

象がいきなりとまって、椅子から落ちそうになってしまった。

落ちる、と思って目を瞑ったら彼が支えてくれたようで、無様な姿はさらさずにすんだ。

少々恥ずかしいが。



「おい、蒼衣、下を見ろ。今夜のメインイベントだ。」

そう彼が言うや否や、私を抱きかかえなおして象から飛び降りた。

下を見る暇なんか与えずに。

「いきなり何をする。」

私は彼のほうを睨みそう言った。

彼はもう私に睨まれるのには慣れてしまったようで、なんとも無いように私をおろした。

「ほら、そっち見てみろよ。お前が今、一番逢いたい人だろう。」

彼が示す方向を見れば、其処には一人の老人。

ニコニコと笑って立っている。

「あ、祖父・・・さん。」

愕然とした。

其処に立っているのは、先日死んだ祖父さんだ。

両親が交通事故で死んでしまってから、

遥か遠い親戚であった私を引き取ってこれまで育ててくれた。

食えない祖父さんだった。

私が素直に育たなかったのは八割がた祖父さんの所為だ。

子供のような瞳で嬉しそうに笑う祖父さん。

その祖父さんが今、目の前にいる。

いつものように、ニコニコと笑って。

黒い、何かが心を支配する。

「ウイグル、帰ろう。もう、彼とは別れを終えている。」

祖父さんに一歩も近づかず、自分に向かって帰ろうと言う私に驚いたようで彼は目を開く。

「何故?逢いたかったんだろう?」

そうだよ。逢いたかったよ。

このまま祖父さんのところに駆け寄って、泣き喚くことは簡単だ。

でも、私は知っているから。

「もう、彼とは別れを終えた、と言っただろう。帰ろう。現実へ。」

ウイグルの顔を見れない。

彼が今、どんな顔をしているのかなんて想像も付かない。

パチンッという音がしたら、其処はもう家のリビングだった。

ソファの前でしばらくの間二人とも無言で立ち尽くしていた。



分かっている。

ウイグルは悪くない。

知らなかっただけだ。

「死」というものを。

分かっている。

分かってはいるがやはり、心をかき回された。気まずい空気が広がる。

「すまなかった。」

最初に口を開いたのは彼だった。

「いや、こちらこそ悪かったな。あれは、・・・何だったんだ?」

祖父さんの霊を冥界からでも引っ張り出してきたのだろうか。

それともすべて私の脳内の妄想か?

「イリュージョンだ。幻想。一番逢いたいと思う人間を蒼衣の脳から映し出して見せたんだ。」

そうか、あれは「彼」では無かったのか。

願いをもってしても、死者を生き返らすことはできないのかもしれないな。

人を殺すことはできても。

「精霊は、死ぬことは無いのか?」

彼はこちらを見て何故かと聞く。

「あの人は、故人なんだ。先日死んだ私の祖父さんだ。」

少しだけ、ウイグルは彼に似ている。

「故、人・・・・。」

彼に、理解ができるだろうか。



「精霊には、死は無い。体の成長は自在だし、体に寿命がきたら生まれ変わるんだ。」

彼は下を向きながらぽつぽつと話し出した。

「生まれ変わっても、対人関係の記憶を失うだけで自分が精霊であることも覚えているし、

 知識と言うものはそのまま蓄積される。姿、性質もそのままだ。性格も。

 水の精霊は生まれ変わっても水の精霊だ。

 一般的な精霊は大体五千年ぐらいで生まれ変わるし、

 一万年も生まれ変わってない精霊もいる。

 人間みたいに百年ぐらいで生まれ変わることを好むやつも・・・。」

彼は申し訳なさそうに、うつむいたまま黙り込んでしまった。

私はソファに座り、すでに冷め切ってしまった日本茶をすすった。

「ウイグル。」

私はしっかりと彼を見つめる。

「有難う、君の気持ちは嬉しいよ。私を喜ばせようと思ったんだな。

 でも、人間は死んだら生き返らない。割り切らなければならないんだ。

 たとえ幻想だって、別れを不完全にしてしまうことはいけないことだ。

 ・・・もう、二度とそんなことはしないでほしい。私以外の人間にも。」

一方的な約束。

人間の勝手を押し付けていることは理解している。

でも、どうしても言っておきたかった。

「・・・分かった。二度としない。」

彼は顔を上げ、私と目を合わせた。

真剣な瞳。

私は無理やり口の端を上げ、微笑んでみせる。

「有難う。」

そう言ったら彼もまた、無理やりに作ったような笑顔で答えた。

「どういたしまして。」



それにしても疲れた。

そう、感じた。

時計を見ると彼と出会ってから三時間がたっていて、腹のほうもすいていたし、

外は暗くなってだいぶ寒くなってきている。

「ウイグル、夕飯作るから、台所に来て手伝ってくれよ。」

そう言うと、彼はキョトンと私を見つめる。

「夕飯だよ。お前も食うだろ?」

台所にいって、手を洗いながらさっさと来いとせかす。

「あ、ああ。食べる。」

彼はやっぱり照れくさそうにそう言って私の隣に並んだ。

手を洗った後、材料を取り出して水で洗ってゆく。

「料理の作り方とか教えてやるから覚えろよ。」

今日は簡単にカレーだ。

ジャガイモを剥き方を教えながら話しかけると、彼は手を止め私に聞き返した。

「だってお前、願い事かなえるまでいるんだろ?

 私の場合願い事が特に無いから好きなだけここにいるといい。」

そう言うと、彼は一瞬驚いたような表情を見せて、やっぱり嬉しそうに笑った。

「願いを叶えるのはだいぶ先になってしまうかもしれないけれど、よろしく頼むな。」



いつの日か、私が死ぬのを見たら、彼は何を感じるのだろう。

そんなことを考えながら、不思議なランプの精との同居生活の、幕が上がったわけだ。

その時はまだ、精霊界のことも、彼のことも何も知らないまま―――。



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     2004/11/28