―言葉にするぐらいなら目で語れ。―
「いや、先生。小説家がそんなこと言わないでください。」
まったく困ったものだ。
言葉でも上手く伝えられない一般人にそんな器用なことができるわけがない。
目の前にいるのはノートパソコンに向かった人気推理小説家、水谷純一。
私、市ノ瀬哉(と書いて、かなと読む)は、彼の編集担当だ。
この大物作家の担当を、編集長は高校のときの同級生だから、と言う理由で簡単に決めてしまった。
決められたこっちは堪ったもんじゃない。
実際のところ、同級生と言ってもほとんど喋ったことはなかった。
地味な高校生活を送っていた私と、クラスでも其処だけ異様なテンションだった水谷純一。
関わり合いがあるはずもない。
「先生、どれくらい進んだんですか。」
お茶を一口のみ、湯飲みを置いて彼のノートパソコンを覗き込む。
「ギャオッス!!!!」
っは????
覗いた先には、真っ白なWordソフトのうえに置かれたねずみ色の窓。
マインスイーパー。
四分の三ぐらい進んだところだろうか、一面に爆弾が広がっている。
「先生。」
私はいつもの低い声よりさらに一オクターブ低く声を出す。
「いや、その・・・・。なんていうか・・・・・。」
彼はどもりながら後ろを振り返り、私を見上げる。
私は彼を数秒睨み、ため息を付きながらマウスを奪った。
「白い・・・、ですね。」
マインスイーパーの窓を閉じ、全体像をあらわす何も書かれていないWord。
なきたくなってくる。
「・・・・・。」
彼は下を向いて必死に言い訳を考えているようだ。
「締め切りは昨日の5時です。
とりあえず、今から休まず手を動かしてください。」
私はマウスを離し、和室の書斎におかれたテーブルに手を着く。
この部屋は彼の書斎らしくて、
男性小説家の割には綺麗に整えられている。
障子を開けると和風の小奇麗な庭があり、
なんと言うか、私はこの空間がとても気に入っている。
が、ここに来るときはいつも小説家の水谷純一が締め切りを破ったとき。
この素敵な空間を楽しめるような余裕はない。
「哉ちゃん、今度の話は恋愛混ぜてみようか。」
そういって出されないから自分で勝手に入れた茶をすすっていたら彼が話しかけてきた。
彼は私のことを「哉ちゃん」と呼ぶ。
高校にいたときはほとんど話したことが無いから、
名前どころか苗字も呼ばれたことが無かったが。
「そうですねぇ、でも珍しいですね。先生が恋愛ものを書くなんて。」
私は彼のほうを見ないで、鞄からノートパソコンを取り出しながら言う。
彼が今、手がけている仕事は小説雑誌に載せる掌編だ。
いつも長編のハードな推理ものしか書かない彼には珍しい仕事。
彼の小説の人気もだいぶ安定してきているし。
たまには違う作風のものを書いても大丈夫だろう。
そんなことを頭の中で考える。
「うん、たまにはいいかなって。
それに恋って自分がしているとなんか誰かに伝えたくなるんだよね。」
彼は手を頭の上で組み、体を伸ばしている。
「恋愛、では無く恋、ですか・・・・。」
思わず聞き返してしまった。
どうでもいいからさっさとキーボードに向かえというべきだったのに。
「そう、恋。
怖くて想いを伝えることも、手を伸ばすことすらしていないけれど。
確かに俺の中に愛おしく思う気持ちがあるんだ。」
そういって彼は私を見て少し恥ずかしそうに笑う。
驚いた。
彼も。そんな感情を抱くんだ。
怖いだなんて。
「先生、とりあえず今晩中には仕上げてくださいよ。」
私は自分のノートパソコンを見ながらそう声をかけた。
私がまだ高校生だったころ、彼はそんなふうには見えなかった。
何でも簡単にこなしてしまうイメージしかなかったんだ。
いつも他人を簡単に突き放してしまうような笑顔でわらっている。
それが彼だった。
そんな彼に私は・・・・。
そうだ。あの想いも恋なのだろうか。
何もしなかった。何もできなかった。
彼とは何のつながりも無いのに、気が付いたら彼の事を目で追っていた。
告白どころか、話しかけることをもしなかった。
自分の中にくすぶる想いがあることは知っていたが、
気付かない振りをして放って置いたのだ。
それは低温火傷のように、
今もまだ跡を残している。
「先生にとって、恋ってどんなんですか?」
ノートパソコンにむかい他の担当作家についての仕事をこなしていく。
思わず、思わず口に出てしまった。
仕事をしながら昔のことなんかを考えていたからこんなミスを犯すのだろうか。
「哉ちゃん?」
彼が怪しそうに後ろを振り返る。
彼の不思議そうな目が私を捉える。
「すみません、忘れてください。」
見ないでください。
何だか泣きそうだ。
「高校のときは、電光石火みたいだって思ったね。
体中に電気が通り抜けるんだ。ビリビリッて。
初めて恋をしたときは何だこれってびびったね。」
そう言って彼はまた手をキーボードに戻し、
カチャカチャと静かな音を立てながら大衆用の言葉を綴り始めた。
「私は、低温火傷かな。」
そう小さな声で呟くと彼は椅子の背もたれに手をつき、
呆けたように私の顔を覗き込んだ。
「何ですか、そんな顔で見ないでくださいよ。
先生、とりあえず手を動かしてください。
これが間に合わなかったら私、
印刷所の前で腹掻っ捌かなくちゃいけないんですからね。」
冗談を言いながら私は彼から視線をそらす。
「低温火傷か、俺にとっての低温火傷は恋愛かな。」
そういって彼は話し出した。
「俺さ、初めて恋したのが高三のときだったんだよね。」
でも、私が彼を知ったときにはもう、彼には恋人がいた。
「その前に恋愛はいっぱいしてたんだよ。
楽しかったしね。恋みたいに苦しいことなんかまったくない。
不満を持つこともないし、自分が嫌になることもない。
でも、それは本当にくだらないことだったんだ。
プラスにもマイナスにもならないこと。
そんなことに何であんなに時間を費やしたんだろうって。」
彼は自嘲のような笑いを見せる。
「恋をして、本当に驚いたよ。
何もできないんだ。楽しくもなんとも無いし。
声をかけることもできなくって、
自分ってこんなに臆病だったんだなぁって。
するのは後悔ばかり。」
彼は器用にもキーボードを叩く腕を休めることも無く語る。
「声をかければよかった。想いを伝えればよかった。
無理やりでも奪ってしまえばよかった・・・・。
何度も諦めようとしたけれど、
姿を見ることがなくなってもこの想いは消えてはくれなくって。
そんなことばかり考えていたんだ。
かっこ悪いけれど、恋ってそういうもんだろ。」
彼は手を止め、私のほうを見て口元だけでにっこりと笑う。
私は金縛りにあったように目を離せなくなってしまい、
無言で彼を見つめる。
どんな顔をしていいのかも分からない。
「なんてね。ちょっと言ってみただけ。」
そういって彼はパソコンに体を向きなおし、
再びキーボードを叩く音が聞こえてきた。
「恋については私も似たようなもんですよ。」
私は苦笑しながら自分の仕事に取り掛かる。
部屋に響くのはカチャカチャという静かな音。
五時間ぐらいたっただろうか、
彼が立ち上がり、こちらに目を向けていた。
「先生、終わったんですか?」
そう聞くと彼は仕事が終わったからだろうか、
緩んだ顔で頷いた。
「ようやく終わったよー。
はい、FD。バックアップとっておいてね。」
そういってFDを私に差し出す。
私はそれを受け取り、やっていた仕事を中断してFDをコピーする。
そして携帯電話を取り出して、編集長にメールで連絡を入れる。
ここからが忙しくなる。
小説を読んでチェックをして、
書き直せなんていうことは時間的にできないから、
誤字脱字や言い回しなどをチャックするだけになる。
「先生、ここの変換の仕方。ちょっとおかしいですよ。」
そういうと彼は私のノートパソコンを覗き込み、
カーソルを持っていった位置に目をやる。
「あれ、本当だ。直しておいてよ。」
そういう彼に直しながらこの字でいいのか確認をする。
「先生、この話って・・・・。」
読み終わって私が口を開く。
この主人公はおそらく彼なのだろう。
小説はいつもの推理ものやミステリーじゃなくって、
100%恋愛もの。
というか、恋の話。
といったほうが良いだろうか。
「うん、僕の実体験。」
小説は高校時代に始まり、一人の女性に恋をする一人称の話。
話しかけれない気持ちが暴走して脳内で色々な妄想へと駆り立てる。
ろくに話もできないまま卒業を迎え、
小説家になって数年後、その女性と小説雑誌のの事務所で再開を果たす。
再開したとたん、女性に向けた感情も解凍され、
編集長に頼み込んで彼女を自分の担当にさせてしまう。
彼女と一緒にいるために主人公は、わざと締め切りを破ったり、
悩んでもいないことを相談するために彼女を家に呼び出す。
その度に色々計画するのだが、結局何もせず、
想いを伝えることすらできずにそのまま帰してしまい、
意気地のない自分に呆れてしまう。
そんな内容だ。
最後にはこう締めくくってある。
『そういうことだから哉ちゃん、
いい加減俺のものになりませんか?』
冗談はやめてくださいよ。
貴方さっき恋の話しているとき全然そんなそぶり見せなかったじゃないですか。
「哉ちゃん、返事は?
これ以上脳内妄想に明け暮れるのは26にもなる男としては
ごめん願いたいんだけれども・・・。」
そういって私に後ろから抱き着いてきた。
体が言うことを聞いてくれない。
おそらく私の顔は真っ赤だろう。
「哉ちゃん、俺本気だよ。
高校のときはほとんど話したことないから
俺の事知らなかったかもしれないけどさ。
ずっと想ってきたんだ。
・・・・駄目?」
卑怯だ、こんなこと。
こ、言葉にするぐらいなら目で語れ!!
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2005/03/04