次の日、私は秋をいつも遊んでいた公園に呼び出した。

夜中の12時ごろに呼び出しのメールを入れてそのままパソコンは開いていない。

携帯電話が昔から大嫌いで、親に無理やり持たされてはいるものの、

電源を切った状態で一ヶ月ぐらい放置してある。


―金木犀の香り2―



来ないかも知れないなと思いながらも金木犀の前にあるベンチへと向かう。

ベンチに座ると、少しだけ花が残っていたのだろうか、金木犀の香りがした。

小学生のころ、私も秋も金木犀のにおいが大好きでこの季節はいつもこの前で遊んでいた。

ある日両手いっぱいの金木犀を私に降りかけて

私には金木犀がよく似合うと言ってくれたこともあったっけ。

もう、遠い昔のようだけれども。



「砂那っ!」

6時ジャスト。

秋が息を切らせてやってきた。

「悪いね。こんなところに呼び出してしまって。」

少し肌寒い。

11月後半にもなると息が白くなる。

「もうそろそろ。はっきりさせとこうと思って。

 秋と、私のこと。」

立ち上がって、秋の方を向く。

秋は私と目を合わせない。

もう、笑いかけてくれることは無いのだろうか。

「やめよう。こんな状態で、来月の婚約発表は無理だ。」

来月、私の18歳の誕生日に婚約発表を予定していた。

秋は顔を上げて私の方を見た。

こんな風に向き合うのは久しぶりのことだ。

「婚約を、解消。しよう?

 秋のおばさんとおじさんには私から言っておくし。」

冷たい風が吹く。

冷え性の私は指先の感覚が失えてゆくのを感じた。

「四人とも好きな人が出来たりしたときには解消していいって言っていたし。

 それに、結婚っていうのはちゃんと好きあっている同士でしなきゃいけないだろ。」

明日、雨が降ったらこの残っている金木犀もすべて落ちてしまうだろう。

「別に幼馴染をやめるわけではないからまた会えるし、

 親父のチェスの相手はやっぱり秋じゃないと駄目みたいだから。」

もう少し、後少しだけでも金木犀が落ちないでくれたら、

頑張ってみれたかもしれないけれど。

学校の金木犀はすべて落ちてしまったし、

もう、ここの金木犀も明日で終わりだ。

「秋、楽しかったよ。じゃぁ、さようなら。」

秋の前で少し笑って見せて、秋とは反対方向に歩き出した。

後ろは振り向かない。

振り向けない。



切ない。

と言うべきなのだろうか、この気持ちは。

秋を誰よりも好きだったし、誰よりも幸せになって欲しいと思っている。

でもやっぱり、この状態を続けるのは拷問に近い。

たった今、婚約解消を宣言してきたのに、

頭の中ではどうやって元の鞘に収めようかと、算段をしている。

秋の幸せを祈ってはいるが、やはり秋の隣に私の知らない女がいるのは凄く嫌で、

あんなことを言った後でも、彼を手放す気はさらさら無いところがあまりに愚かだ。

せめてこの婚約解消をきっかけに少しでも話してくれるようになればと打算的に思っている。

別れることも、幼馴染という予防線を張ってしか言うことが出来ない。

こんなにも臆病な私を誰が好きになってくれるんだろう。



だが、ショックだった。

何も、言ってくれなかった。

秋は。

婚約を解消したくない、欲を言えばそんな内容の言葉が欲しかったわけではあるが、

何も言ってくれなかった。

頷きもせず、首を横に振ることもせず、ただ、其処にあるだけだった。

私との関係は、秋にとってそんな程度の存在だったのだろうか。

そうだとしたのなら、この婚約解消はとても正当なことだったのかもしれない。



朝、予報通りの雨の中。

他の生徒よりも前に行きたくも無い学校に足を進める。

生徒会の仕事など、やらなければならない事は山積みなんだ。

いつも通りに靴箱には数通の手紙。

なんだかいつもと変わらない情景に腹が立ったので、

総から以外の手紙はそのまま靴箱にほおって置いた。

今は読む気がしないが、このイライラが少しでも落ち着いたら返事を書けばいい。

そりあえず生徒会室へ行って書類の整理。

昨日はサボったのでその分もある。

総も手伝ってくれたが、今日の放課後は生徒会室に缶詰のようだ。

忙しくって何も考える暇も無いっていうのも、たまにはいいのかもしれない。



授業後、生徒会で仕事をしていると、社会の教師に頼まれた。

荷物運びをやって欲しいと。

運の悪いことにそのとき生徒会室には私しかいなかった為、

南棟の五階から、東棟の六階まで機材を一人で運ぶ羽目になった。

五階分階段を下りて渡り廊下を歩き、

七階分階段を上らなければならない。

重い機材を持って。

あと二階分上れば終わりだというところで、前を歩く人物に思わず声をかけた。

「秋!」

声をかけてから昨日のことが頭に回り始めた。

昨日の今日だ。

こっちを見る事さえしてくれないのではないだろうか。

心臓がドキドキ言っている。

しゃべる勇気も無いのなら、声をかけなければよかった。

「砂那。」

秋は立ち止まって私の名前を呼んだ。

私は喋ることを頭をフル回転させて考えながら秋の元に駆け寄った。

「秋はこんな放課後に何かあったのか?」

そう聞くと秋は苦笑いしながら頷いた。

「これ、運ぶの?手伝うよ。」

昨日の夕方あったばかりなのに、

なんだか久しぶりに秋の声を聞いたかのようで緊張している私から、機材のほとんどを奪い取った。

「あ、かまわないのに。七階までだから。」

そう言うと秋は、こういうものは男に任せるものだと言って返してはくれなかった。

「結構重かっただろ。誰に頼まれたんだ?」

そういって、秋は私に笑いかけた。

下手をすれば、もう二度と見れないかもしれないと思っていた笑いを。

社会の教員だと応えて、社会の授業で何をやっているか、

他の教科はどう進んでいるかで話が盛り上がった。

なんだ、話せるじゃないか。

あの頃のように。





七階に後二段ほどで上がるところで、世界が反転した。



こっちへやってきた女生徒が両手を前にして私にぶつかって来たのだ。

その瞳には憎悪の色。

うわっ。

ガシャンッガシャンっと機材が転げ落ちる音の後にどさっという音がした。

待て。

私はとっさに手摺を掴んで傷一つ無い。

少し足が痛いぐらいだ。

後ろを向くと、十段ほど下の踊り場に、尻餅をついた秋の姿。

上を向くと女生徒の姿はもう無かった。

「秋!大丈夫か?」

階段を下りて秋の元へ駆け寄った。

「あ、ああ。大丈夫。」

どうやら私が落とした機材の直撃は免れたようだ。

「怪我は無い?でもなんで秋が・・・・。」

そう言うと秋は恥ずかしそうに顔を背けていった。

「だって、砂那が落ちると思って・・・・。」

受け止めようとしたのか?

私を?

「だー!くそ!カッコ悪い!」

前髪をくしゃくしゃさせながらこっちをちらりと見る。

バツが悪いときの秋の癖だ。

私はそんな姿に思わず笑いがこぼれてしまった。

「ップ。ハハッ、立てる?秋。」

手を伸ばすとしっかりと掴まれた。

もう、目はそらされていない。

「うわっ!」

秋の体を引き上げようと思ったら、逆に引っ張られて私は秋の腕の中。

訳がわからない。

頭はもちろんフリーズ中。

心臓が壊れそうなくらいドキドキいっているし、

子供の頃から一緒にいるけれども、そのどんな時よりも近い顔。

「砂那、俺、やっぱり嫌だよ。」

っえ?

「砂那が他の男といるのは。嫌だ。」

頭がまだ動かない。

私はただ、秋の顔を見つめた。

「砂那が総一のこと好きでも、俺、やっぱり砂那のこと諦められない。

 砂那の側にいたいし、他の男が砂那の側にいるのは嫌だよ。」

総?

何で総が・・・・?

「あいつとは只の友達だが・・・・。」

私がそう言うと拗ねたように私を見た。

「いつも一緒にいるだろ。それに、一昨日だってずっと一緒にサボっていたって聞いた。」

秋が私に、

やきもちを?

「あいつには婚約者だっているし、それに・・・」

秋が私の顔をじっと見つめる。

「それに。私の婚約者は、秋・・・だったし。」

あまりの近さに私は目をそらせてしまう。

「でも、好きな人が出来たって・・・・。」

違う。其れは私のことじゃなくって。

「あ、秋の、ことだよ。最近、何かよそよそしいから。

 他に好きな人が出来たのかなって・・・・。」

やばい、泣きそうだ。

思いが溢れて。

「ちがっ!!・・・其れは、砂那が変わらないから。

 子供の頃から変わらなく接してくるから。

 俺のこと。男として見てないのかなって・・・。

 カッコいいところ見せようとしても・・・こんなんだし。」

かっこ、いいよ。

秋は。昔から。

金木犀の香りを知った頃から、私は秋に恋をしていたんだ。

「俺のほうばっかり、砂那のこと、意識してるみたいで。

 なんだか上手く喋れなくなって、砂那のファンにも目をつけられるし。

 そうしているうちにどんどん砂那と総一との距離が縮まっていくし。

 挙句、婚約解消なんて、言い出すから。」

ああ、二人とも不安だったんだ。

すれ違って、臆病になって・・・。

赤くなって言葉を紡ぐ秋を見て、愛してるって叫びたくなったけど、

上手く口が動かない。

「秋。」

そっと秋の胸に顔を押し付けると、ゆっくりと背中に秋の腕が回ってきた。

其れは、あの頃のような細いものではなくって、

それでも、あの頃の暖かさは同じで。

もう、散ってしまったはずなのに、

私は秋の中で金木犀の香りを感じた。





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     2004/10/26