「六花、賭けをしないか?」
次の時間の単語テストの勉強をしていたところ、見知った顔が私の前でこう言った。
「・・・いや、やめておきます。」
私はそういって視線を単語帳に戻した。
どうせろくな事では無いと考えながら、ページをめくる。
「ややめておく、じゃ無くって。男ならやっておくべきだ!」
私は女だ!と突っ込みを入れたいところだが面倒くさいので止めておく。
―丁半博打―
「賭けっていうのはリスクがあるでしょう。リスクを負ってまでする価値のあるものなんですか?」
そう言うと彼、藤井高嶺は目をそらし、短い金髪に染めた髪の毛をガシャガシャとかき回した。
何か言いたそうだが、只でさえ生徒会の仕事で忙しいのに、これ以上忙しくはなりたくないので、
彼の気を他のことに移そうと口を開く。
「其れよりいいんですか?次の時間英単語のテストですよ。
高嶺、この間の中間やばかったのなら、此処で点数とっておかないと。」
彼の目が見開いたのがわかって、話をそらすことに成功したとホッとする。
「ど、どこ、範囲・・・・。」
そう言って高嶺は私の単語帳を覗き込んだ。
必然と顔が近くなる。
いくら私が感情が顔に出ないタイプだからと言っても、
こういう瞬間は鏡があったらどんな表情をしているのか確認してしまうだろう。
私だって年頃の女だ。
異性が、しかも腐れ縁で中学のときから一緒だと言っても想い人の顔が、
こんなに近づいてきたら意識するなと言う方がおかしい。
かといって引き離すのもおかしいので、単語帳を睨みつけてじっと我慢をする。
高嶺は必死になって単語を覚えようとするが、時間は待ってくれるはずもなく、
チャイムと同時に入ってきた英語教師によって席へ帰ってゆき、
私は嬉しいのか混乱しているのかわからない微妙な緊張感から解放された。
それで『賭け』の話は終わった。
と思っていたんだ。
放課後、終礼が終わり、日直の仕事を追えた後、
私は三階にある生徒会室に向かおうと鞄を持って教室の扉へ向かった。
しかし、高嶺が目の前に立ち、其れを妨げる。
「六花、賭けの話し・・・。」
そう言って私を少し睨みつけた。
「はぁ、まだ言ってるんですか。」
もうあの時に終わったと思っていたのに。
「な、いいだろ?」
賭けの内容も聞いていないのに了解を得ようとしないで欲しい。
「解りました、とりあえず内容だけ聞かせてください。」
こうも見つめられながら話されては、こちらの感覚が麻痺してしまいそうだ。
「あ、うん。」
彼は急に目をそらし、首の後ろをかき始めた。
「どうしたんですか?」
そう言うと、彼は真剣な、しかしどこか不安そうな顔で私を見つめた。
「明日から一ヶ月、俺と付き合ってさ。
んで俺に惚れたら、その、彼女になってほしい。」
いつもより少し早い口調でそう言うと、耳まで真っ赤にして下を向いてしまった。
伽山六花、こんなに長く思考停止したのは、生まれて十七年の中で初めてであります。
ようやく言っている意味を半分ほど理解したところで声を出す。
「今日から、じゃなくって明日から、ですか?」
そう言うと、彼は顔を上げ、なんだか口篭もった。
ああそうか、来月の明日、1月20日は高嶺の誕生日か。
と言うことは、一応クリスマスも大晦日も正月も一般的な恋人行事というものを体験することになるのか。
「どうして、こんな賭けを?」
高嶺のことは前から好きだから、こんな賭けなんかしなくても彼女になりたい。
なんて事を言えるほど素直には育ってはいない。
しかしその問いに、彼は私を睨みつけこう言った。
「そんなの、六花が好きだからに決まっているだろ!」
そんなことは初耳だ。
と言うか、普通に告白する気にはならないのか。
いや、これが告白か?
「あ〜。高嶺が勝った場合は私が高嶺の彼女になって・・・。
私が勝った場合はどうするんですか?」
もうすでに勝敗は決まっているような気がするが、一応聞いておく。
賭けと言うからにはフェアじゃなければ。
そう言うと、考えてなかったのか彼は慌て出した。
「あ、六花が勝った場合は・・・、俺が彼氏になる!」
勝っても負けても変わらないじゃないのではないだろうか。
なんだか少し笑えてきてしまう。
其れを見て彼は私を睨みつけ、そう言うことだから明日から宜しくと告げて教室から出て行った。
どうやら一ヶ月先まで私が彼に思いを告げることは出来なくなってしまったようだ。
次の日から彼は異常な行動をとるようになった。
一例をあげると朝、登校するときに私の家へ迎えにきたのだ。
「・・・オハヨウゴザイマス。高嶺。」
私は引きつった笑いで彼を見た。
「ああ。おはよう。」
そう言って彼は少し緊張した面持ちで私を見る。
この二日間繰り返される朝の光景。
明日から冬休みと言うものに入るからこれは日課にはならないだろうけれども。
玄関を出て一緒に歩き出す。
その間、彼は私の鞄を奪い、そして車道側を歩こうものならば問答無用で位置を変えられる。
もちろん手は彼の其れと繋がれている。
まるで恋人ごっこだ。
「今、この賭けの時間があってよかったと思ってるよ。」
そう呟くと彼は何の話しかと聞いてきたが、適当ににごらせておいた。
「あ、六花、今日生徒会の仕事があるんだろ。俺、教室で待ってるから終わったら連絡いれろな。」
にっこりと笑う。
下校の際も危ないからと言って家まで送っていってくれている。
今まで女扱いされた事があまりないから戸惑ってしまう。
と言うか、一昨日まであんなに糞みたいに扱われていたのに、行き成り大切に扱われてもはっきり言って困る。
もちろん教室でもそうだ。
毎放課のように私の席までやってきて、他愛もない話をする。
と言うか、必死に話を作っているように見える。
会話が途切れると彼は困ったように笑い、すぐに新しい話題を探し出してくのだ。
『付き合う』前は会話が途切れても、その沈黙さえ心地よいと感じていたのに。
今日は半ドンで午後からは部活のある生徒だけが学校に残り、部活のない人間は家へと足を向けるわけだが、
私は生徒会の書記をやっている為、帰るのは一時過ぎになってしまう。
帰りには多分彼と共に食事をしたりすることになるだろう。
その時にどうにかこの状況を変えなければと思っている。
「伽山さん。ちょっといい?」
生徒会の仕事を終え、携帯電話を出して高嶺に連絡しようとしていたところを、
少し高めの声が後ろから呼び止めた。
「えっと、松原さん?どうかしたのですか?」
振り向いたところにいたのは、同じクラスだが滅多に話す事のない人間。
彼女は短いスカートから綺麗な足を出し、私へと近づいてくる。
香水の匂いに顔をしかめそうになるが、相手に其れが解らないように笑いながら手で鼻を押さえる。
「いいから、ちょっとこっち来て。」
そう言って彼女は私の腕を掴み、廊下を進んでゆく。
これはひょっとして・・・。
連れられて来たのは校舎裏。
定番過ぎる。
案の定、数人の女生徒が私を取り囲んだ。
取り囲まれると、一人一人は貧弱な女子高生のはずなのに結構な迫力を見せてくれる。
「貴方がた、こんな所に連れてきて何がしたいんですか。」
ため息が出てくる。
生徒会の仕事がようやく終わったと思ったのに・・・。
「伽山さん、あなたちょっと生意気なのよ!」
リーダー格なのだろうか、私をここまで連れてきた松原という女生徒が、
いつの時代の台詞だ、と言いたくなるような言葉で啖呵を切った。
「可愛くもないくせに藤井君の彼女ってどういうことよ!」
その横にいた名前も知らない人の言うことに、そうだそうだと回りの人間も同調する。
「これに其の敬語!何なの?先生にも媚売っちゃって。
眼鏡もつけて、自分は頭いいんですよーってアピールでもしてるつもり?」
少なくともお前よりはな。
一応敬語は餓鬼のころからの癖だ。
それに媚びうるのだって簡単のことじゃないんだ。
『信用』を得る為にどれだけ頑張ってると思っているのだろうか。
チラッと時計を盗み見る。
現在一時十二分。
教室には高嶺を待たせたままだ。
後三分。一時十五分になったら帰る。
「ちょっと!聞いてるの?」
ハッと気が付くと松原さんは顔を真っ赤にして私を睨んでいた。
「聞いてますよ。」
そっけない顔でそう言うと彼女の顔は更に歪んだ。
黙っていれば可愛い顔なのに・・・。
「っ藤井君と別れて!」
今度は泣きそうな顔で私を見る。
「あ、あんたみたいな地味な女、藤井君には不釣合いだわ!」
目に涙をためて叫んだ。
必死、だ。
周りの人間も、彼女を囲み、慰め始める。
時計を見るとすでに十五分を過ぎていた。
私はため息をつく。
「松原さん、悪いけれど時間切れです。これ以上私に言いたいことがあるのなら、
紙にまとめて書いて、明日の朝までに私の机の上に置いておいて下さい。」
失礼します。と言って、わたしは彼女たちの間を通り抜けた。
後ろから罵倒の声が聞こえてくるが立ち止まろうとはしない。
悪いが、こっちも必死なんだ。
もし本当に明日の朝学校にきたときレポート用紙が机にあったら、
赤ペンで添削してつき返してやる、などと考えながら私は早足で教室へと向かった。
ガラリと教室の扉を開る。
すると彼は驚いたようで、読んでいた雑誌を落とし、こちらを向いた。
「高嶺、すみませんでした。待たせてしまって。」
話しながら近寄っていって、彼の落とした雑誌を取る。
「あ、六花・・・。」
彼は慌てて雑誌を私の手から奪い取る。
「女の子が落ちる、デートスポット100選?」
チラッと、タイトルが見えてしまい、其処にはこんなことが書かれていた。
「あ〜、六花、その・・・。」
彼は雑誌を背中へと持ってゆき、気まずそうにこちらを向いた。
私は思わずため息をつく。
なんだか最近ため息ばかりついている。
ため息をつくと幸せが逃げると言うのが本当ならば、私はいくつ幸せを逃しただろうか。
「それで?今日はどこへ連れて行ってくれる予定だったんですか?」
そう聞くと、彼は小さな声でイタリア料理の店と答えた。
「高嶺。イタリヤ料理のお店は今度にしましょう。
今日はこの間食べに行ったラーメン屋に連れて行ってください。」
笑いながら言うと、彼は気恥ずかしそうに口を開いた。
「分かった。俺も、ラーメンの方が気が楽だ。」
彼もちょっと無理をしていたのだろう。
ホッとしたような表情を見せた。
「高嶺、最初から力を入れると息切れをしてしまって、長続きしませんよ。
少しずつ、でいいんじゃないですか?私たちの場合は。」
ニヤリと笑ってそう言うと、彼もうれしそうに笑った。
「そうだな。雑誌がどうこう書いてあっても、マニュアルじゃ落ちないような女だしな。」
そんなことを言う彼に少し不満そうに睨みつける。
じゃぁ、マニュアル通りの女にしろなんて、死んでもいえないけれども。
廊下を出て、歩き出したところに行き成り後ろから彼に手を掴まれた。
私が驚いて振り向くと彼はニヤリと笑い、こういった。
「少しずつ、な。」
困った。
そうくるとは思いもしなかった。
来月までこの気持ちを隠しておく自信はさっきので崩れ去ってしまった。
クリスマスにでもこの思いを打ち明けてしまおうか。
たまにはこんな、負けが決まりきった賭け事も悪くはないかもしれない。
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2004/12/20